アメリカに留学に行く場合、予防接種を受けたり、保険に入ることが必須です。アメリカは日本と違い、国民皆保険制度ではありません。

保険料は高く、留学を考えている方も思わぬ出費にガックリしてしまうこともあると思います。ですが!! 僕は実際に入院したことがあります。この時保険に入っていなかったらと思うと…。恐ろしい…。

今回は「アメリカで実際に入院するとどれだけの費用を請求されるのか」をご紹介します。ちょっと悲しいお話です…。泣

※長めの記事で5分ほどの分量です。この記事を読むとアメリカの病院に入院するとどうなるか理解できると思います。

この記事を書いているのは・・・
僕はアメリカにダンス留学していました。最初はピッツバーグの大学に行き、次にニューヨークのダンススクールに編入。ニューヨーク移動すると座学が軽減されダンス三昧。そんな中思わぬ落とし穴が…。

入院した理由

僕はダンス留学で、最初ピッツバーグの大学に行っていました。ですが、ダンスをもっと極めたいと思い、より専門的に学べるニューヨークに移動しました。

僕がメインに踊っているジャンルは、ジャズダンスです。その他に、コンテンポラリーダンス、モダンダンス、バレエ、ヒップホップも同時に踊っていました。特に僕が留学に言った2013年頃、ニューヨークではコンテンポラリーダンスが流行っていました。

コンテンポラリーダンスを学ぶならニューヨークが最先端。素晴らしい先生がたくさんいて、僕もかなりレッスンを受けていました。コンテンポラリーダンスのレッスンにはある特徴があります。それは裸足で踊ること。

僕はバレエとヒップホップ以外は裸足でレッスンを受けていました。一緒にレッスンを受けていた地元の友人たちは靴下を履いていることが多かったのですが、僕は気にせず裸足で踊っていました。

というのも、裸足で踊ると、滑ることなく床の感覚をつかむことができます。その代わり、裸足で激しく踊ると傷ができてしまったり、時には流血なんてことも…。

この傷を僕はあなどっていました…。どうやら裸足で踊っていたことが原因でバイキンが身体の中に入ってしまったようです。これが入院する原因となりました。

当初の目標が裏目に・・・

「せっかく留学するんだから」と僕はある目標を立てていました。それは「多少無理をする!!」

この留学は一生に一度しかないチャンスと思っていました。実際そうだったんですが、だからこそ「ちょっとくらい無理してでも自分のキャパを超えたい」と思っていました。1年間、ダンスのことだけしか考えなくていい素晴らしい時間。

ですが、これが裏目に出てしまいました。無理をしていたせいで免疫力がかなり下がっていたようです。そして、裸足で踊っていたのが災いし、バイキンが体内で暴れ始めます。

救急車登場

さらにタイミングが悪いことに調子が悪くなりだした頃、バレエの公演に出演が決まっていました。「ドン・キホーテ」に出演するチャンスをもらい、ドンキホーテ役とソロダンスの2役を踊りました。

公演が近づくに連れだんだんと調子が悪くなっていきます…。やはり心配だったので一度病院に行きました。そのときの診断は風邪。アメリカで病院に行くのが初めてだったので日本人が経営する病院に行きました。その時の診断料は保険が適用できず200ドルほど(2万円)。

かぜ薬を処方してもらい乗り切ることになりました。ですが、公演が近くなるにつれ体調が悪くなっていきます。でも本番は何より大事なので、練習に打ち込んでいました。そのかいあって、公演は大成功と言っていいものでした!!

ですが、家に帰ってからダウン…。この時、当時付き合っていた恋人に頼んで家に泊まらせてもらいました。1日休んでもよくならない…。2日休んでも良くならない…。そしてついに眠れないほどの状態になってしまいました。

あまりに苦しんでいた僕をみて、恋人が救急車を呼びました。その距離たった2ブロックほど…。笑

恋人の部屋はマンハッタンのど真ん中にあって、それまで知らなかったのですが部屋の近くに病院がありました…。たった2ブロックでしたが救急車を呼んだ料金500ドルほど(5万円)…。

ERへ

ERに搬送され、いろいろな検査が行われました。そこにいた若い先生がめちゃめちゃいい人でした。しかも僕のルームメイトとたまたま友達だった、という最強の偶然!!

5日間ほど入院しましたが、結局ERでは病気が特定できませんでした。

日本でも入院したことがなく、大きな病気になったこともありませんでした。一番つらかったのは、英語で自分の状況を説明しなくてはイケないこと。ですが、先程の若い先生はすごく辛抱強く僕の話を聞いてくれました。そのおかげで自分の症状を英語で話す力が5日間で一気に成長しました。

ですが、ERではこれ以上詳しい検査ができないとのことで、大学病院に移動することが決定しました。ここで一気に不安になりました…。少し大げさですが「死」という言葉が頭にちらついていました…。

転院する前に、大量の資料を手元にもらいました。請求書の数々です。「どの保険に入っているのか、どの資料をどう記入して…。」病院の事務スタッフが説明をしてくれました。

細かい請求金額の記憶は、ERに来た救急車までしかないので、かかった費用は最後にお伝えします。

大学病院へ

そして、またまた救急車で大学病院に移送されることになりました。ここから入院生活が始まります。日本では一回も入院したことがなかったので、とにかく不安でした

中でも本当に怖かったのがMRIの検査です。MRIの空きがなく、僕の検査は深夜1時を回っていました。ストレッチャーに載せられ、暗い病院を移動します。この時のスタッフは看護師さんではなく、MRIのスタッフなので面識もありません。静かに誰もいない廊下を連れて行かれます…。思ったよりも長い…。

僕は大好きなドラマ「シックス・フィート・アンダー」を思い出していました。このドラマは葬儀社の話で、「シックス・フィート・アンダー」という言葉は、棺を埋める深さを指しています。ちょうどこの時期見終わったばかりで、オープニングを追体験しているような感覚がありました。

下の映像の30秒ほどの部分からです…。

怖い状況も、このオープニングを思い出していて「なんかドラマみたいな状況だな…。アメリカっぽい!!」とちょっと感動。のん気なものです。笑

そしてMRI検査も初めて受けました。1時間か1時間30分か…。機械の音がとにかくうるさかったのを覚えています。ちょっとでも動くとMRI技師の人がめちゃめちゃ怒るので、これも恐怖でした…。病人には優しくしてよ!!

原因判明

そして他にも骨髄穿刺をしたり、いろんな検査をしました。大学病院ということもあり、医療ドラマでみるような医学生がたくさんいます。基本的に僕の担当は、医学生にみえるような若いアジア系の女性でした。もしかしたらインターンだったのかもしれません。

ですが、この女性の骨髄穿刺がとにかく下手で、死ぬ思いをしました…。痛くて痛くて…。「あ”ーーーーーーー」。「やめてーーーーー」。

実際、声出ちゃってました…。たぶん神経を少し傷つけたみたいで、その後2年ほど背骨にピリピリとした感覚があって、一生治らないのかと、こちらも違った意味で怖かったです。ただ今は、平気です!!

そしてようやく病気が判明!! 薬をしっかり投与すれば治るとのことで一安心。ですが、1ヶ月以上入院してほしい、と先生から…。

大号泣

大学病院で病気がわかるまで死ぬ思いでした。治るとわかった時は、とにかく安心しました。

とはいえ「何をしに来たんだ、俺は…」と絶望的な気持ちになりました。留学に来たのにさらに1ヶ月も無駄になってしまう。

先生が去って、看護師の女性が僕を心配してしばらく話を聞いてくれていました…。

すると涙がポタポタと…。

「止めよう」と思っても全然止まりません。

そこで看護師さんが優しい言葉をかけてます。

もう抑えることができませんでした。声を上げてワンワン泣いてしまいました…。

そして僕は繰り返し「家に帰りたい…。」と言っていたようです。

病院を出るために

「家に帰りたい」というのは「とにかく病院を出たい」ということです。看護師さんが僕を家に帰すために、とにかく奔走してくれました。そして解決策を持ってきてくれました。ただし条件がありました。それは、僕を面倒見てくれる人を見つけること。

ニューヨークで僕はハウスシェアをしていました。ハウスシェアをしている家では、誰も面倒をみてくれません。

そんな時、恋人が家に来ることを提案してくれました。今でも感謝してもしきれません。毎日、病院に来てくれて僕のことを本当に心配してくれました。看護師さんの前でも泣いてしまいましたが、恋人の前でも1度だけ大号泣…。

点滴を身体に埋め込む

さらにいくつか条件があり、「点滴を身体に埋め込むこと」「訪問看護師を1週間に1回」などがありました。薬を点滴から体内に注入していたからです。

そしてすべての条件を揃えられる手はずが整いました。入院から1週間。ついに退院することができました!!

ここからしばらくダンスのレッスンも休みです。ただただ、のんびり1ヶ月過ごしていました。この時は暗いことを考えることも多々ありました。

そんな時は、日本のテレビ番組を見て元気になっていました。「やっぱり猫が好き」「きらきらアフロ」「ローラさんがでている番組」をよく見ていました。

請求金額に驚愕

アメリカ留学中に入院した話。保険がないと地獄です。

しばらくすると家に大量の書類が…。具体的な数字はもう覚えていないんですが、ERと大学病院の費用をあわせて、およそ5万ドル(500万円ほど)の請求が…。

一瞬自分の目を疑いました。「アメリカの病院代は高い高い」と聞いていましたが、まさかこんなに高いとは!!!!!!!

これが最大の不幸中の幸いですが、僕は留学前に大学から指定された保険に入っていました。1年で20万ほどのものです。最初は「高い…」と思っていましたが、この保険に救われました。

日本の保険ではなくアメリカの保険だったので、電話でのやり取りが英語で本当に面倒だし、書類を揃えるのも本当に面倒でした。僕は電話で話すのが本当に苦手だったので、ここでも恋人におんぶに抱っこ。

でも保険の申請がおり、全部無料となりました。

僕は大学指定の保険だったのでしょうがないのですが、できれば保険は日本の会社の方が良かったと本当に思います。

病気をして得たもの

僕は入院したことで、人の素晴らしさをすごく感じました。一番感謝しなければいけないのは当時の恋人。遠距離になるため別れてしまいましたが、今でもすごく大切な人です。

アメリカの人たちは本当に温かくて、日本人とは違った優しさを持っています。「今度遊ぼ」と言われれば、絶対に本気です。そんな友人たちが入院の話を聞いて励ましに来てくれました。

僕もそういう人間になりたい、と思っています。

この入院の話は、本当に今でも鮮明に覚えています。実はこの時期、家族がニューヨークまで遊びに来ていました。僕がちょうど自宅療養してから1週間ほどの頃です。本当は家族には秘密にするつもりでした。

ですが、僕は家族と一緒にジャマイカに旅行に行く計画を立てていました。というのもジャマイカは日本から直行便が出ていないので、なかなか行くのが難しい地域です。ニューヨークに来たついでに、僕が家族とニューヨークの乗り継ぎで合流するつもりでした。

こうした経緯があり、話さざるを得ませんでした。余計な心配をかけてしまいました。でも、だいぶ点滴が身体に入っていたものの、自由に動けることもでき一緒にニューヨーク観光に行くことはできました。

その時、家族は恋人の家に泊まっていました。その恋人は僕と家族が一緒にいられるように友人の家に行っていました。さらに僕は一日中一緒には行動できないので、恋人が案内してくれていました。

今こうして思い返すだけでもありえないような体験に感じます。

どうにかなる!!

これが最後です。

もう死ぬかもしれない、と思ったら自分の意見もはっきり言えたし、英語も「火事場のバカぢから」を発揮していました。

不思議と入院中は誰が何を言っているか、すごくよくわかりました。そして英語もすんなりと口から出てきていました。

交渉することの重要性も理解しました。退院に関して、保険に関して、そして僕だけ旅行をキャンセルしたので返金に関して。

入院したことは本当に最悪の出来事でしたが、そのほかの出来事はすべてプラスでした。こんな経験はする必要はまったくないですが、この経験は確実に僕を強くしました。

今回は「アメリカ留学中に入院した話」でした。
どうもありがとうございました!!
たけだ