ニューヨーク・シティ・バレエ団にとって2018年はスキャンダルにまみれた年でした。その混乱を乗り越え、新体制のニューヨーク・シティ・バレエがスタートしています。

kazu

ニューヨーク・シティ・バレエ団は日本ではなかなか観ることができず、知名度も低めです。ですが、僕が大好きなバレエ団です。

今回はニューヨーク・シティ・バレエ団について、魅力が伝わるように記事にしていきます。

※3分ほどで読み終わる記事です。2020年は劇場閉鎖にともないデジタルシーズンとして動画配信をしています。そちらの情報もお伝えします。

記事を書いているのは…

元劇団四季、テーマパークダンサー。30分のショーから2時間の舞台まで出演回数は5,000回は軽く超えているんじゃないかと思います。レッスンを受けるのが大好きで、ひたすら踊りまくっていました。今もレッスンは継続中でフリーのダンサーとして活動中です。

ニューヨーク・シティ・バレエ団

アメリカを代表するバレエ団

「ニューヨーク・シティ・バレエ団(NYCB)」はアメリカの2大バレエ団のひとつです。年間の予算が100億円ほどあり、アメリカの中では、1番のバレエ団です。

ちなみにもう一つは同じくリンカーンセンターを拠点とする「アメリカン・バレエ・シアター(ABT)」です。

ニューヨーク・シティ・バレエ団はジョージ・バランシンのすべての作品を持つバレエ団です。そのため、ジョージ・バランシンの作品を踊るよう徹底的に訓練されています。

だからこそ、ニューヨーク・シティ・バレエ団が踊るジョージ・バランシン作品はひと味もふた味も違います。ジョージ・バランシンの作品は世界中のバレエ団で上演され、スターダンサーが踊っています。ですが、ニューヨーク・シティ・バレエ団が踊るバランシン作品をみると全然違います。

音のテンポがとにかく正確です。バレエの音楽はダンサーに踊りやすいようにテンポを調整してしまうことがあるのですが、ニューヨーク・シティ・バレエ団では基本的に調整をしません。

kazu

スピード感に度肝を抜かれたことが何回もありました!!

ディヴィッド・H・コーク劇場

ニューヨークのマンハッタンにある劇場が集まるリンカーンセンターのディヴィッド・H・コーク劇場が本拠地です。

ニューヨーク・シティ・バレエ団はリンカーンセンターの左側
左側が「ディヴィッド・H・コーク劇場」、真ん中の「メトロポリタン歌劇場」はABTの本拠地です。ただ、「メトロポリタン歌劇場」をメインに使っているのはメトロポリタン・オペラ・カンパニーです。

TRAVEL+ LEISURE

リンカーンセンターの詳しい地図

あっとニューヨーク

【豆知識】映画「ブラック・スワン」の舞台

ナタリー・ポートマンの怪演が光る「ブラック・スワン」。この舞台になっているのがニューヨーク・シティ・バレエ団です。

Amazon Prime 30日間無料体験を試す

ナタリー・ポートマンの結婚相手で「ブラック・スワン」の振付をしているバンジャマン・ミルピエ。彼は元ニューヨーク・シティ・バレエ団のダンサーでした。

【豆知識】映画「センターステージ」の舞台

僕の世代のダンサーがほぼ全員みたんじゃないかと思うセンターステージ。ニューヨーク・シティ・バレエの劇場である「ディヴィッド・H・コーク劇場」が使われています。

Amazon Prime 30日間無料体験を試す

歴史

ここからはニューヨーク・シティ・バレエ団の歴史をご紹介します。

1933年

ジョージ・バランシンがボリス・コフノと「Les Ballets 1933」というバレエカンパニーを設立し、ロンドン、パリで公演を行います。今までのバレエの様式とちがい、前衛的なバレエ団でした。この新しさは観客に受け入れられず、興行は失敗してしまいます。

しかし、アメリカの財閥であるリンカーン・カースティンは「Les Ballets 1933」に感銘を受けます。リンカーン・カースティンは常々バレエをアメリカに広めたいと考えていました。リンカーン・カースティンは、ジョージ・バランシンにバレエ団と学校を作ることを約束しパリから招きます。

この後50年間に渡り、リンカーン・カースティンがジョージ・バランシンのパトロンとしてサポートし続けます。

さきほど紹介したリンカーンセンターはリンカーン・カースティンとは関係ありそうですが、建設地の地区名であるリンカーン・スクエアからリンカーン・センターという名前がつけられました。とはいえ、リンカーン・カースティンとリンカーンセンター。運命的なものを感じます。

1934年

「スクール・オブ・アメリカンバレエ」が設立されました。

いきなりバレエ団ではなく、バレエ学校を作ったのはバランシンからの提案があったそうです。バレエ団には、ダンサーの育成が必要不可欠とバランシンは考えました。

1935年

スクール・オブ・アメリカンバレエの卒業生から「アメリカン・バレエ」というバレエ団を発足。企画・経営はリンカーン・カーステイン、監督・振付はジョージ・バランシンで行います。この体制は、のちに発足するニューヨーク・シティ・バレエ団でも続きます。

そして、「アメリカン・バレエ」はリンカーンセンター内にあるメトロポリタン歌劇場専属のバレエ団になります。現在の「アメリカン・バレエ・シアター」が拠点とする劇場です。

しかし、ジョージ・バランシンの振付はメトロポリタン歌劇場の経営陣からは評判がよくありませんでした。

1936年

リンカーン・カースティンが「バレエキャラバン」設立。劇場を持たないツアーカンパニーです。のちにバランシンの代表作となる作品も数々発表されています。1940年までの4年間活動します。

1938年

「アメリカン・バレエ」が解散。ジョージ・バランシンとメトロポリタン歌劇場の折り合いがつかず、バランシンが去ることを決意。

1941年

第二次世界大戦の影響もあり、バレエ・キャラバンとアメリカン・バレエ団の残ったメンバーで新たなツアーカンパニーを発足。国務省の支援によって6か月間ラテンアメリカ・ツアーを行いました。

その後は戦争の影響で活動が一時滞ります。

1946年

リンカーン・カースティンとジョージ・バランシンで「バレエ協会」を設立。会員制によるバレエ公演を再開します。

1948年

「バレエ協会」がニューヨーク・シティ・センター専属バレエ団に。そして、この時「バレエ協会」の名称が「ニューヨーク・シティ・バレエ団」に変更されます。

これがニューヨーク・シティ・バレエ団の始まりです。

ジョージ・バランシンが芸術監督になり、「ウエストサイドストーリー」の振付であるジェローム・ロビンズが助監督に就任します。

1964年

ニューヨーク州立劇場へ移転。ニューヨーク州立劇場は「ディヴィッド・H・コーク劇場」に改名される前の名称です。

そして現在に至ります。

ジョージ・バランシンのためのバレエ団

ニューヨーク・シティ・バレエ団(NYCB)には95名ほどのダンサーが在籍しています。

ニューヨーク・シティ・バレエ団のダンサーのほとんどが、さきほど紹介した「スクール・オブ・アメリカンバレエ」の出身者です。「スクール・オブ・アメリカンバレエ」ではジョージ・バランシンの振付を踊りこなせるように訓練しています。そのため、現在ニューヨーク・シティ・バレエ団の団員の中で、スクール・オブ・アメリカンバレエ出身ではないダンサーはたった2名です。

「スクール・オブ・アメリカンバレエ」6歳~18歳まで約1,000人が在籍しています。ちなみにニューヨーク・シティ・バレエ団に入れるのは、この「スクール・オブ・アメリカンバレエ」から毎年10人ほどの狭き門です。

階級(ランク)

階級は3つに分かれています。

上から、
プリンシパル
ソリスト
コール・ド・バレエ

ジョージ・バランシンは「8頭身の女性好き」ということもあり、ニューヨーク・シティ・バレエ団の女性ダンサーは8頭身でスタイル抜群なダンサーが多いです。

公演数、レパートリーの多さも特徴で、特に15分~60分ほどの小さな作品が集まっています。

レパートリー

60%・・・ジョージ・バランシン振付の作品
20%・・・「ウエストサイド・ストーリー」の振付で有名なジェローム・ロビンスの作品
20%・・・現代の振付家の作品

バランシンはロシアでバレエと音楽を学び、マリインスキー・バレエに入団します。バランシンは自分が学んだロシアのクラシックバレエと、アメリカの観客が好むダイナミックな感覚をくっつけるようなスタイルが特徴です。2つの融合で新しいバレエが生まれ、クラシックの基本の大事にしながらも斬新な振付をどんどん発表していきました。

バランシン財団

バランシンが亡くなってから35年ほどたちますが、ニューヨーク・シティ・バレエ団のレパートリーはバランシンの作品が60%占めています。

ニューヨーク・シティ・バレエ団は、バランシンの作品を忠実に守っていくことを第1に考えているバレエ団です。そのため、バランシンの振付を忠実に守るために「バランシン財団」というものがあります。この財団はリンカーンセンター内にあります。

バランシン財団は著作権管理にとてもうるさく、バランシン財団が認めた指導者の指導がない限りバランシン作品は上演できません。

このように審査が厳しいので、バランシンの作品は映像化されることもあまりありませんでした。ですが、最近方針が変わったのか、映像化される作品が増えているように思います。

大きく4シーズン

ニューヨーク・シティ・バレエ団は1年を4つの期間に分けて公演を行っています。

秋:フォール・シーズン

1年の始まりは秋。9月中旬から公演が開始です。フォールシーズンと呼ばれ、ジョージ・バランシンの小さな作品を中心に1回の公演で3作品を上演します。

10月には「フォール・ファッション・ガラ」という華々しいイベントが開催されます。

普段のディヴィッド・H・コーク劇場の内部です。

david h koch theaterの内部

Lincoln Center

この劇場がこんな感じに大変身!

ニューヨーク・シティ・バレエ、フォールガラ

The Kagency

クリスマス:ホリデーシーズン

クリスマス期間である11月下旬から12月末までは「くるみ割り人形」が上演されます。

ニューヨーク・シティ・バレエのクリスマスといえば、くるみ割り人形と言われるくらいジョージ・バランシン版の「くるみ割り人形」は人気があります。

冬:ウィンターシーズン

1月~3月で、ジョージ・バランシンの小さな作品を中心に1回の公演で3作品を上演します。

「白鳥の湖」や「眠れる森の美女」など、ニューヨーク・シティ・バレエでは数少ない物語バレエが上演されることもあります。

春:スプリング・シーズン

1年の終割のシーズンです。

4月~6月中旬までジョージ・バランシンの小さな作品を中心に1回の公演で3作品を上演します。

独特のルール

手の使い方がまず特徴があります。

ニューヨーク・シティ・バレエ団は独特のルールが女性に対してあります。

・髪の毛は常にシニョン(お団子)を結べるよう長くすること
・バーレッスンの時からトゥ・シューズをはくこと
・挨拶するときは、ポイントにせず、後ろ脚のトウをドゥミ・ポワントにすること↓

ニューヨーク・シティ・バレエ団のお辞儀の仕方

プロモーションのセンスが光る

ニューヨーク・シティ・バレエ団はいろいろなアーティストとコラボしています。とくに衣装に関し、有名デザイナーと一緒に仕事をしている印象です。

僕が初めてニューヨーク・シティ・バレエ団をニューヨークで観たとき、スーパーおしゃれな写真が飾られていて感動したのを覚えています。

ニューヨーク・シティ・バレエ団の劇場のロビーはとてもモダンなデザインです。そこに下記のような写真がパネルでびっしり飾られていて、どれも非常にクリエイティブな写真で心を奪われました。

ニューヨーク・シティ・バレエ団おしゃれな写真1

ニューヨーク・シティ・バレエ団おしゃれな写真2

ニューヨーク・シティ・バレエ団おしゃれな写真3
1番左にいるのがバンジャマン・ミルピエ。僕が好きなホワキン・デ・ルースは1番右。

New York City Ballet 「Moves」より

kazu

未だに上の写真を集めたものがスマホの待ち受け画面です。2013年から引きずっています。

ポスターも大事に飾っています!

また、WEBメディアもうまく活用し、facebookやyoutubeで映像が上がっています。

好きなダンサー

僕が一番見ていた時代は2013年頃。今はもう引退してしまいましたが、ホワキン・デ・ルースが大好きでした。背が小さいんですが、すごくポジティブでパワフル。テクニックはもちろんなんですが、表情が魅力的で、かつ表現力が非常に高いです。

女性ダンサーでは、映像のタイラー・ペックが好きです。どの舞台をみても存在感があって、表現力が非常に高いダンサーです。

またニューヨーク・シティ・バレエ団には再映画化される「ウエストサイドストーリー」で振付を担当したジャスティン・ペックが常任振付家をしています。ジャスティン・ペックの作品も大好きです。

スキャンダルにまみれた2018年

現在の芸術監督は元プリンシパルのジョナサン・スタッフォード、副芸術監督はこちらも元プリンシパルのウェンディ・ウィーランです。とくにウェンディ・ウィーランは30年間ニューヨーク・シティ・バレエ団に在籍し、プリンシパルとして不動の地位を確立していました。副芸術監督とはいえ、かなり芸術監督に近い働きをしていて、実質2人体制となっています。

kazu

僕がニューヨークにいた頃、ウェンディ・ウィーランはニューヨーク・シティ・バレエ団にいたもののほとんど踊っていはいませんでした。ウェンディ・ウィーランの評判はとても高く、一度見てみたいダンサーでしたが、ほぼ諦めていました。

ところが!!

たまたまマーサ・グラハム・カンパニーの公演を観に行った時、ウェンディ・ウィーランがゲストで出演していました。

存在そのものが圧倒的で、打ちのめされてしまったのでした。ウェンディ・ウィーランは今も大好きなダンサーです。

実は2人体制なのは理由があります。この2人の前の芸術監督はピーター・マーティンスといい、30年以上芸術監督を務めていました。すごくダンディで優しい雰囲気を持っているのでとにかく驚きました。ですが、2018年にピーター・マーティンスのセクハラ・パワハラ騒動が勃発します。事態を重くみた運営財団が即座にピーター・マーティンスの職務を停止。そして急遽、芸術監督のチームを編成します。

そして2019年ピーター・マーティンスの辞職により、正式に新体制が発表されました。

ニューヨーク・シティ・バレエ団の豆知識

ニューヨーク・シティ・バレエ団の情報を少しご紹介します。

サラ・ジェシカ・パーカーが経営に関わっている

ニューヨーク・シティ・バレエ団の「Vice Chairman(副会長、副理事)」という役職に女優のサラ・ジェシカ・パーカーが入っています。ファッションに精通していることもあり、ファッションとのコラボはよく行われています。

サラ・ジェシカ・パーカーとバレエの関係は実は深く、バレエファンということは有名です。主演していた海外ドラマ「SEX AND THE CITY」のオープニングでは、バレリーナのような衣装を着ています。


ちょっとこの洋服のセンスは僕にはわからず・・・。

ちなみに「SEX AND THE CITY」ファイナル・シーズンには超伝説的なバレエダンサーである「ミハイル・バリシニコフ」がアレクサンドル・ペトロフスキーを演じています。最初登場したときは、まじで度肝抜かれました。

Amazon Prime で「SEX AND THE CITY」配信中。30日間無料体験を試す

そんなサラ・ジェシカ・パーカーが関わるニューヨーク・シティ・バレエ団は毎年パーティーを開催しています。その名もファッションガラ。バレエ団経営ではパトロンというか、後援者が必要になります。サラ・ジェシカ・パーカーが関わることで、ニューヨーク・シティ・バレエ団にとってかなりプラスになっていると思います。

サラ・ジェシカ・パーカーは子供のころからバレエをやっていて、一時期アメリカン・バレエ・シアターの研究生でもあったとの情報もあります。

ニューヨーク・シティ・バレエ団2019サラ・ジェシカ・パーカー

hollywoodlife.comより

日本公演でもサラ・ジェシカ・パーカーに活躍していただきたい!!

日本人ダンサー「KJ Takahashi」が在団中

「KJ Takahashi」さんという方が現在ニューヨーク・シティ・バレエ団の研修生として名前が登録されています。

堀内元さん以来の日本人です。堀内元さんは2000年あたりまでニューヨーク・シティ・バレエ団のプリンシパルとして大活躍してました。バレエダンサーをしながらブロードウェイの「キャッツ」にも出演していました。

堀内元さん以降は日本人が財団することを積極的にサポートしないと言っていたニューヨーク・シティ・バレエ団。それ以来のことでとても嬉しい変化です。

ニューヨーク・シティ・バレエ団のKJ Takahashiさん

danceviewtimes

KJ Takahashi さんはフリースタイルダンスの活動をしている人とたぶん同一人物だと思われます。写真を見る限り、たぶんです。10代前半、アポロシアターで100点をとった経験があります。三浦大知ばりのダンスを踊る少年として有名になったこともあります。

すごい柔らかい動きのダンス。スーパーオールマイティーダンサーです。

2020年 デジタルシーズン

現在、新型コロナウイルスの影響で2020年スプリングシーズンの公演が全部キャンセルしてしまいました。それに代わり、「デジタル・スプリング・シーズン」を発表。youtube、facebook、ホームページから作品を発表しています。3日間限定で公開され、どんどんアップデートされています。

無料でフルバージョンの作品を見られるとてもめずらしい試みです。

ぜひご覧になってみてください。

kazu

ぼくの大好きなニューヨーク・シティ・バレエ団の紹介でした。
ありがとうございました。

amazon prime 30日間無料